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大きな飛躍


よし、おいらはこんなの信じない(笑)。

「芸術を愛する、調和的な宇宙人。」

「その姿は、多くの場合美麗で背中に一対の羽根を持つ。古来より『天使』として描かれてきたものの多くがオリオン人の姿を描いたものである」。

ここだけ採用、と。



まぁね、氏の話は、ときに突飛な飛躍があっても個人的には抵抗なく呑める内容だったし、何よりも面白かったので異議は唱えませんよ(笑)。

実際、人間の多くは、自覚的無自覚的に関わらず、どこかで自分に備わっている資質や先天的に欠損している要素を感じ、それに沿った、あるいは、それを否定・克服するような事柄に関心を抱き、生きる上での『テーマ』のようなものを醸成していくもんだと思っているし。

「愛と快楽、調和と平和、個の充実を通じて全体の幸福を希求する」というようなdocro的哲学観、宗教観が何十年掛かって育ってきた背景には、独善と不信、自己中心的で支配的な『真の内面』の影響や、それに対する反発?があったのだろう。もちろん「冷静で客観的、理知的でありたい」の裏にも・・・ええ、アホですんません。



私事になるが、つい最近、ここ数年の間誰に宣言することもなく取り組んできた『魂の修行』を、結論的には敗北・落第という形で卒業したと感じるできごとがあった。

ただ、その末期にこの「戦い」を振り返ったとき転売戦国時代で「じゃぁどうなったら勝ってた?」という疑問と共に、「いやいや、これって『勝ち』を目指した戦いなんかじゃなく、その期間に必要だったものや魂が欲したもの(≒快楽)を手に入るだけ手に入れようと、ひたすら一生懸命『生きた』だけなんじゃねーの?」という思いが胸に去来した。

そのときはそこまで明確に思ったわけではないが、自分では「戦えるだけ戦った」つもりのことが、実は戦いでもなんでもなかったのかコレ?という実感と共に終了するこの感じは、氏の言う「戦い抜くことを通じて戦いを超克する」という禅問答のような言葉を飲み込む上で、非常に大きな助けになった気がする。


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